投稿 ニールセン 典子氏

国際児のアイデンティティ
―ドイツの補習校卒業生へのインタビュー分析結果よりー
ニールセン 典子氏

2021年投稿

(プロフィール)
ドイツの補習授業校にて9年間(校長職含む)、日本のドイツ学園にて5年間、教員を務める。学校心理士としてドイツの日本人国際学校にてスクールカウンセラーの経験もあり。イタリアに1年、ドイツに12年在住。
現在、「グリーンカウンセリングルーム」カウンセラー。主に海外に住む子ども、保護者、教員への心理、言語、教育に関するカウンセリングを行っている。


(以下本文。原文のまま)

・アイデンティティ形成

単一文化で育ち、文化間移動をすることなく生涯を過ごす場合は、自分がどこの国の人間で、どこの文化が身についているかなどということについて、意識したり、考えたりする機会は少ないものです。一方、国際児の場合は、複数の文化の中で生まれ育っており、文化間移動の経験をもつ者も少なくないため、このようなことについて考える機会が必然的に多くなります。そしてこのことは、単一に近い文化環境で育つのと比べ、成長過程におけるアイデンティティ形成に大きく影響を与えると考えられます。本稿では、「国際児」を「異なる国籍・文化をもつ両親のもとで生育した子ども」とします。

アイデンティティは、自分が受ける教育、両親との関わり、生活空間、個人的な嗜好などといった要因に左右されているものですが、国際児のアイデンティティ形成には、単一文化で育った場合に比べ、環境や人間関係など、より複雑な要因が影響しています。

このように形成される国際児のアイデンティティは、その形成の過程が複雑で不安定なものとなることが予想されますが、国際児は自分自身をどのように捉えることで安定していくのでしょうか。今回は、海外で補習校に通った経験のある国際児について考えてみたいと思います。

補習校で日本語を学ぶことは、幼児期や児童期には親の期待により開始されますが、青年期になると、自らの意思で取り組む姿勢がみられるようになります。その過程がアイデンティティの成熟を物語っていると言えるでしょう。

特に小学校高学年くらいになると、現地校との両立が難しくなり、悩む子どもが多くいます。補習校を継続する意味を自問する行為そのものが、アイデンティティの形成と直結しているわけです。

 

・補習校の卒業生にインタビュー  

2017年、ドイツのある補習校の卒業生10名を対象にインタビュー調査を行い、ドイツで育った日独国際児のアイデンティティがどのような過程を経て形成されるのかを検証しました。

 

・安全基地としての補習校

今回の調査対象者の多くは、もしも補習校に通っていなかったら、現在の自分はいない、と言い切り、補習校で学んでいなければ、日本語の習得はもちろん、日本に関する知識や興味がなく、完全にドイツ人として生きていっていただろうと述べています。そして、そのような自分が想像できないとも述べているのです。補習校における役割のひとつが、日本人アイデンティティの形成であると言えるでしょう。

また、私自身が教員として補習校で子どもたちに接するなか、補習校が現地校で出しきれない自分を出せる心のよりどころとなっていることを見聞きすることも多くありました。平日はドイツ現地校に通う国際児にとって、週に一度通ってくる補習校は、安心感や仲間意識の連帯感を感じることができる、いわば安全基地のような役割を果たしているとも考えられます。今回の調査対象者の多くは幼稚園から中学卒業までの10年前後、補習校に通っていました。この年月に育った友情や仲間意識は彼らにとってかけがえのないものであり、ドイツ人の友達には話せない日本の話題で共に盛り上がったり、アイデンティティの悩みがあった時に相談できたりしたことを考えると、その存在がいかに大きなものであったかが想像できます。自分と同じような境遇にいる友達がいることが精神的支えとなり、疾風怒濤の思春期を乗り越えることができたのではないでしょうか。

 

・青年期におけるアイデンティティの混乱

アイデンティティ概念の提唱者であるE.H.エリクソン(1982)は、人生を8段階に分けた中で、アイデンティティvs.アイデンティティの混乱を青年期の主題として位置づけています。今回の調査対象者は18歳から26歳までの青年男女であり、その多くはまさにその混乱の中にいる年齢です。単一文化で育つ青年も、この時期には「自分は何者か」、「自分はどんなふうになりたいのか」について悩み、その答えが出せず、本当の自分がよくわからない混乱状態に陥る場合があります。しかし、複数文化で育った国際児のように、自分はどちらなのか、とアイデンティティの二者択一について悩む状況にはありません。国際児は、その置かれた環境や人間関係により、アイデンティティ形成において、混乱を極めたであろうことが想像できます。例えば、本人は、国際児であっても、日本では日本人として、ドイツではドイツ人として認められたいという強い願望をもっています。それにもかかわらず、どちらの国にいても、外国人扱いをされることに強い不満を感じている場合があります。特に、外国人が多いドイツに比べて、日本人は外国人慣れしていないと感じ、自分のバックグラウンドを説明しても、なおかつ外国人扱いをされることにストレスを感じたりします。また、自分にはホームがない、日本でもドイツでもその国の人間として受け入れられていない、という疎外感を感じ、居場所がないという感覚をもっている場合も多いのです。アイデンティティは、「自分が考える自分」とともに「他者が考える自分」によっても形成されると考えると、それらが統一されないときに混乱や葛藤や迷いが生じるのだと考えられます。

 

・使い分けてバランスをとる

さて、思春期が過ぎ、青年期後期に入った国際児たちは、どのように二文化のバランスをとっているのでしょうか。それには、どちらの国にいても、どちらの人間と話しても、違和感なく合わせられるように、言葉を変え、声を変え、態度を変え、考え方を変えるような使い分けが行われていたことがわかりました。無意識に、いつのまにか自然に使い分けているという場合もあり、また、意識的に努力して使い分けているという場合もあります。意識的に、日本とドイツのそれぞれ一番いい部分を出しているという場合には、それは国際児にしかできないことという自尊心も表れていました。このように、国際児はそれぞれの場所で、あるいは人間関係において、使い分けをすることでアイデンティティのバランスを保っていることが示唆されたのです。

 

・心理的支援の必要性

今回の研究は、1人あたり約1時間の面談の記録結果の分析を通して行われましたが、ひとりひとりがそれぞれのストーリーをもっており、面談の中でそれを語ることで、カタルシス効果もあったのではないかと推測されます。国際児は、自分自身について考えたり感じたりしている問題について、語る場を求めているのではないかと強く感じました。国際児が心理的な問題を抱えているとき、友達や家族、担任以外の専門家に相談したいと思っても、スクールカウンセラーを配置している補習校はほとんどないのが現状です。補習校にも、こころの相談室のような場があれば、特にアイデンティティ混乱期にある思春期の子どもを支援することが可能になるでしょう。また、国際児のみならず、その保護者や教員もまた、国際児について様々な悩みを抱えている場合があります。国際児、保護者、教員のそれぞれに必要な心理的支援ができる場をつくっていくことが今後の課題となると考えられます。

なお、本研究の結果は、サンプルの少なさ、ドイツのある地域の補習校出身者という限定性などのために、一般化への限界を有しています。ここで得られた結果は、必ずしもすべての日独国際児に当てはまるとは限らないことを確認させていただきます。

 

 

 

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