Group With
-海外で暮らす家族と共に -
*講師の肩書・プロフィールは講演当時のものです。
―ジャカルタカウンセリングへの相談を通して
講師 澤谷 厚子さん ジャカルタカウンセリング、臨床心理士
自分らしく生きる ―ボランティア活動を経験して
講師 小林 良子さん ジャカルタカウンセリング
日時: 2003年11月8日(水) 10:30-12:30
場所: 東京ウィメンズプラザ 視聴覚室C
海外で赴任家族として暮らす主婦たちは、異文化の中でどのような心の不安やストレスを抱えて生活しているのでしょうか。海外で「自分らしく」生きていく為の ヒントは?
インドネシア(ジャカルタ)で邦人向けメンタル相談窓口を設立した母親ボランタリーグループの方々をお迎えし、ご自身の体験と現地での活動についてお話を伺いました。
(この記録はゲストのお話をもとにGroup Withがまとめたものです。無断の記載転用はご遠慮ください)
第一部
「赴任家族・妻たち母親たちの心の悩み」
ジャカルタカウンセリングへの相談を通して
臨床心理士 澤谷厚子氏
澤谷厚子さんプロフィール
1995年11月、夫の転勤に伴い3歳から13歳の子ども3人を帯同してインドネシアのジャカルタへ渡り、2003年6月まで滞在する。ジャカルタ滞在前は、仙台市児童相談所で心理判定員として発達相談に従事。
1997年、ジャカルタで暮らす日本人のメンタルケアを目的に「ジャカルタカウンセリング」を立ち上げ、その代表を帰国するまで務める。「ジャカルタカウンセリング」は有資格者の母親たちが集り、邦人向けメンタル相談や幼児健診を行っている。
帰国後の現在は週1回、内閣官房の「拉致被害者・家族支援室」で支援専門員として勤務している。今後は『子育て支援』の活動を行っていきたいと考えている。
(帰国後2006年4月に「海外に住む子ども達のこころの健康をサポートする臨床心理士の会 With Kids」を立ち上げ、2019年現在も海外に住むお子さんたちのサポート活動を続けている)
● 転勤が決ってから「ジャカルタカウンセリング」の設立まで
ジャカルタへは1995年に夫の帯同家族として行きました。それまでは臨床心理士として3人の子どもを育てながら週に何回か仙台の児童相談所に嘱託として勤め、発達に問題のある子どものケアを中心に診断・その後の療育に携わっていました。
ジャカルタ行きに際しては、仕事を辞めていくことになりますし、現地でも仕事はできないという覚悟でした。赴任者の妻は基本的には現地で仕事(有償)ができない状況だったからです。しかし(赴任地で)働くことはできない状況でも、そこに子どもたちがいれば今までの経験は生かせるはずで、きっと何か活動はできるだろうという思いだけは持って行きました。
しばらくの間は、そこに慣れるだけで精一杯な状態、それはメンタルヘルスに携わっている者いない者に関係なく、ほかの方たちと同じで慣れることに必死でした。やっと落ち着いた頃に「ジャカルタマザーズクラブ」を知りました。赴任家族の母親たちが中心になり、当時情報が十分でなかった妊娠・出産・子育ての情報を集めながら1年半ぐらい前から活動をしているグループでした。そこに参加し1年程は皆さんの活動を通して母親と子どもたちがどんなことに悩んだり迷ったりしているのかを見ていました。仕事上では発達の問題という障害を抱える子どもたちを扱っていましたが、母親の側にも「尋ねてみたいこと」「不安なこと」「こんなものがあればいいのに」と思うことがたくさんあるということが見えてきて、1997年に「ジャカルタカウンセリング (JC)」を設立しました。
創設メンバーは3人でした。一人はアドラー派の心理学を学んだ人、もう一人は教育相談を引き受けていた人(現在は臨床心理士)です。3人だったらどうにかやれるかなという気持ちでした。そして当時の大使館の医務官が大変理解のある方でバックアップしてくださるということになり、1997年1月から活動を始めました。
● ジャカルタカウンセリング(JC) の活動について
《スタッフ》
まずはジャカルタの日本人クラブの広報誌に活動スタートのお知らせを出したものの最初はそれ程の反応もなく、周りの方の相談を少し受けるという形で始まりました。3人でのスタートでしたが、スタッフとして有資格者(心理・医療・福祉・教育等)や現場で活動をしていた人を募集しました。今までにスタッフとなってくれた人々は臨床心理士、心理判定員、保健婦、言語聴覚士、特殊教育に携わっていた人、幼稚園の先生、ソーシャルワーカー、看護師など8年間で30人から40人程です。一人が2、3年で帰国するため、実質1年から3年程で入れ替わるという海外特有の事情があり、この間スタッフがいつも充実していたとは言えません。
《活動内容》
個別に相談を受けるという形でやっていましたが、2年目後半頃からは待っているだけでなく積極的に皆さんに何か提供するものがないかと考えるようになりました。活動内容としては「個別の心理相談(現地に馴染めない、鬱々としている相談や発達相談)」、「幼児健診」、「講演会(日本から来た精神科の医師や医療関係者の話、地元の医師による更年期障害の話)」「座談会(テーマを決めて話し合いをする)」「ワークショップ(リラクゼーション、自律訓練法の紹介)」「メディカルサポートネットワーク」です。
《個別の心理相談について》
「件数」 126件(1997年から2003年春まで)
男女比 女性110件:男性16件
新規の相談者は年平均20件ありました。全員大人です。学校にスクールカウンセラーがいないので、子どもからの相談をすくい上げていないという理由です。子どもに問題がないわけではありません。
「相談者」 相談者は赴任者の妻が90件、赴任者本人が20件、永住者(国際結婚や自営業)が10件で、日本からの質問が6件ありました。
そのほかメディカルサポートネットワークで受けた旅行者などからの相談が約10件あります。
「相談内容」 子どもに関する相談 73件
「言葉が遅いという相談」では、早期の対応が必要であると思われるようなケースが多いです。 不登校・引きこもり」については学校側からは報告はありませんが、行き渋りや休みがちという相談がありました。
「学業不振」「問題行動(暴力、素行)」についての相談もありました。
友達関係に関しては(直接子どもからの相談はなかったので)出てきませんでした。
相談者自身の相談 47件
夫婦間の問題が3分の1ぐらいで、東南アジア特有の現地女性との問題、浮気問題などです。あとは、「鬱(人間関係を上手く広げられない、イライラする)」の問題がありますが、これはジャカルタに来たから起こったものではなく、 年齢的にホルモンの変わり目で起きた可能性が大だと思われます。
第三者についての相談 6件
そのほか日本からの問合せで「発達に遅れのある子どもを帯同した場合、ジャカルタに療育施設はあるのか」とか「精神科にかかっていた患者がジャカルタに行くが、そちらの状況はどうなのか」などのような相談もありました。
《幼児健診について》
JCの活動をしているうちにマザーズクラブから「乳児健診」をして欲しいという声があがりました。日本国内では1,3,6ヶ月,1歳,1歳半健診等を病院や保健所でしてくれます。特に1歳半健診は、保健所において発達の状態をみてくれる幼児健診が受けられますが、海外にいる場合はその対象となりません。派遣元の企業は赴任家族の健康診断を1年に1回するところが多いのですが、それは健康かどうかのチェックのみで、幼児の発達状態が順調かどうかは顕著な症状が出ない限り相談の対象とはなりません。そこでお母さん方から「もう少しデリケートな部分の相談をしたい」「順調に育っているかどうかを知って安心したい」というような要望が強くなってきました。
しかし検診を実施することは可能でも、もしケアが必要となった場合どうフォローしていくかが確立していなければ難しいと思い、1年程考慮していました。当時(本日のゲストの一人である)養護教師の資格を持っている小林さんも参加していましたので、そんな話をするうちに、何かあればケアできる「人」も「経験」も「場所」もあるのでプレイグループを作りケアすることも可能ではないかということになり、1999年に幼児健診がスタートしました。
幼児健診は、1歳半から3歳半までの幼児の「身体検査」(身長、体重、頭囲、胸囲)、「心理発達検査」、「運動発達検査」、滞在している日本人歯科医師による「歯科検診」、有資格者の栄養士による「栄養相談」、幼稚園や保育園の先生による「育児相談・子育て相談」という内容で半年に1回の割合で開始し、現在まで9回続いています。スタッフは年々入れ替わりますが、ほとんど毎回大使館の医務官や日本からの小児科の医師が参加してくださって一回に30?40人の子どもが健診を受けています。
《メディカルサポートネットワーク(MSN)》
単独での赴任家族や単身赴任者・旅行者が病気になった場合に、医療の面でのサポート以外に、誰か身近にジャカルタのことが分かっている人がいて日本食についての情報を教えてくれたり日本語で声をかけてくれたりすれば心強いものです。病院での治療が必要な方々の為に、要請があった時にそういったサポートをしています。実際のケースとしては、現地で亡くなった方のご家族に対してのサポートなどもありました。
● 相談に見受けられる傾向
《女性たちが現地で感じるストレス》
「子どものいる夫婦」からは子どもが上手くやっていけるかどうかの不安を訴えてくることが多いです。情報が少なく社会が狭いので身近な人に相談することがなかなか難しいからだと思われます。「子どもを帯同していない夫婦、子どもがいない夫婦」からは夫婦の関係を円満に保つことが難しいという相談を多く受けました。夫は仕事上のストレスが溜まっている、妻は忙しい夫が向き合ってくれないというストレスです。
《ジャカルタ特有のストレス》
「社会不安」 5年程前に沖縄の精神科医がジャカルタの日本人にどんなストレスがあるかという意識調査をしたことがあります。その結果から分かったものとして、一つは、常に意識していないものの「社会不安」がストレスの背景にあるということでした。毎日何かが起こっているわけでも緊張して生活しているわけでもありませんが、海外に出ているという緊張感以外に何時何処で何が起こるかわからないという不安があるということです。
「使用人の問題」
表面に出てくる不平不満としては「使用人の問題」があります。日本で社会人として働いていた経験はあるものの、人を使うということに慣れていない奥さんたちがほとんどです。また、インドネシアは階層社会です。下層のイスラム教信徒の使用人とどう付き合うかという問題もあります。加えて家庭内に絶えず他人がいるというストレスもあります。最初の3ヶ月から半年は言葉の問題や習慣の違いなどもあり慣れるのに大変ですが、女性にとって「使用人の問題」が最も大きなストレスとなるようです。
特に、ドライバーを使わなければどこにも行けないというストレスは大きいものです。夫の会社からの配車ですので、ほかの家庭と運転手をシェアするということもあり「自由に外出できない」「上手に現地語が話せないので行き先を正確に伝えられない」などが原因のストレスが半年ぐらい続きます。この辛い時期は夫も会社で大変な時期なので、できれば夫が1?3ヶ月先に赴任し、基本的な生活の形をつかんでから家族を迎えることを勧めます。そうすれば妻の不安を受けとめることもできるのではないでしょうか。慣れてくれば自分に使える時間も長くなり、生活は楽しくなってきます。
● 最近気になること
情報を上手く見つけられない人が落ち込んだり、人間関係を広げられなかったりします。
情報を得るとは何処に行けば何ができるのか、こういうことを知りたい時にはどうすればいいのか、何処に行けば自分に合う仲間が見つけられるかということです。
最近は、自分で探そうとせず簡単にJCに情報を尋ねて解決しようとする傾向があります。日本では簡単に情報が得られる時代になったので、ジャカルタでも電話一本で簡単に答えてもらえると勘違いしているのです。これらの情報は周りの人や近所に尋ねて教えてもらい、自分で問題を解決していけるものだと思います。サービスが行き届いている日本の生活をジャカルタにそのまま持ってきているから躓くのではないでしょうか。
メールや日本への行き来も簡単にできて、文化の異なる国に住むという覚悟がありません。人間関係は日本にいたときよりも積極的にならないと広がっていきませんから努力の必要があると思います。
● 医師の治療が必要と思われるケース
子どもの発達相談で問題がシリアスな場合には(自閉症、言葉の遅れなど明らかな発達問題)、JCで指摘しても家族は納得ができないようです。こんな時には一時帰国時に日本で診てもらうことを勧めていますが、多くのお母さんはどこに行ったらいいのか分からず、会社の相談室などにお尋ねになるケースも多いかと思います。
そこで相談室の方へのお願いですが、連れてきているお子さんの中で発達上の問題があるような場合は、あそこの小児科が有名だからそこに行くようにという薦め方をせず、発達専門のお医者様を紹介してほしいのです。一般の小児科医では身体を調べてとても健康だとしか判断しませんが問題はそこではないのです。小児科で「異常はない」と言われてお母さんはにこにこして戻っていらっしゃいましたが、問題は解決されていないままでした。
思春期痩せ症のケースは日本と連絡を取り緊急帰国させました。男性の鬱病で会社に説明しづらいという場合などは医務官や日本人の医師を通して説明してもらうなど医療との連携を緊密にしていました。
● 子どもの言葉の問題について
子どもの言葉に関しては日本語がいつも聞ける状態ではないので、放っておいたら日本語の量は足りません。両親はその点を踏まえて積極的に日本語を読み聞かせて話しかける機会を子どもに与えるようにして欲しいのです。遅れがちな言葉も心配するほど個人差として遅れているのか、海外に住んでいるという状況からくる遅れなのかを相談を受けた時にきっちりと判断しなければなりません。
● 赴任前にしておくとよいこと
海外に住む場合は住む国や地域がどういうところかを調べたり前任者から聞いたりしておいてください。宗教や生活習慣を調べ、簡単な話し言葉や日常に使う言葉を学んでから行くことも大切です。自分が現地で何をしたいのか、慣れてきて有り余る時間をどう使うかを考える必要もあります。地域によっては演劇を観たり名曲を聴いたりする機会がほとんどない場合もあるので、好きな本やCDなどを持参していくことを薦めます。
「自分らしく生きる」-ボランティア活動を経験して
小林良子氏
小林良子さんのプロフィール
1998年4月、夫の転勤に伴い小学1年と3年の子どもを帯同してジャカルタへ渡り、2001年3月まで滞在する。ジャカルタ滞在前は、東京で(社)日本てんかん協会 東京都支部事務局長を務める。「ジャカルタカウンセリング」では主に障害を持つお子さんに関する相談のアドバイザーを務める。1999年10月、インドネシアの子ども達の為に支援活動をしている在住日本人のボランティアグループをまとめ、「J2net(ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク)」を立ち上げる。帰国後、2001年8月に日本側の窓口「J2net・ジャパン」を設立し、事務局長として精力的に活動している。養護学校教員の資格を持つ。
● 私とボランティア活動…
学生時代からボランティア活動を続けてきましたが、1998年に夫の帯同家族としてジャカルタに行く前は東京で「日本てんかん協会東京都支部」の事務局長をしていました。我が家は結婚直後から日本各地への転勤が続き、東京滞在中はてんかん協会で、地方の転勤地ではボランティア活動をという暮らしでした。子どもが生まれてからは、(転勤地で)子どもを守る為に深く地域と繋がって情報を集めたりネットワークを作ったりすることの大切さに気づきました。海外勤務になった時は転勤の一つと捉えて、現地でも今までと同じような活動はできるものと思ってジャカルタへ渡りました。
● ジャカルタに来てはみたものの…
ジャカルタは‘97年に経済危機が起こり、付いて行くのは不安でしたが、来てみると普通の落ち着いた暮らしでした。インドネシアのことは何も分からなかったので、時間のある時は運転手さんを使ってジャカルタ近辺を見て回りました。
1ヶ月後、スハルト降ろしの暴動が勃発しました。我が家のような単独での赴任家族は会社からの情報も全くなく頼る所もありませんでした。日本社会からは何も守られることがない中でも数少ない日本人の知人に助けられ帰国しました。
日本に一時帰国中は、現地の社会福祉はどうなっているのかを調べるなど情報を集め、その後3ヵ月で再びジャカルタに戻りました。
● 福祉活動を始めたが…
ジャカルタにはジャパンクラブという日本人クラブがあり、その中の福祉部に押しかけて1年間現地の福祉の現場を訪れる機会を持ちました。ただ、このクラブは部の委員の任期が1年のみで、翌年も同じ活動をすることができないシステムでした。ヨーロッパ系、アメリカ系の婦人部の中に入って活動を続ける人も数人いましたが、知り合った日本人の中にはジャパンクラブでの社会福祉活動を継続してやりたいと思っている人もいることが分かり、私はこれを無駄にするのはもったいないと考えていました。そんな時沢谷さんから声がかかり「ジャカルタカウンセリング(JC)」に参加しました。
● 優雅な奥様たちの中にも…
現地の多くの日本人の母親は、子どもを朝6時過ぎに日本人学校へ送り出した後は、夕方3?4時に戻ってくるまでの時間を、ゴルフやテニス、趣味の習い事、買い物、ホテルでの食事などで費やすことが多いのです。そのような優雅な生活を送っている主婦の中にも、自分から入っていく勇気はないけれど、きっかけさえあれば現地の福祉活動をしたいと思っている人がいると感じていました。そこでジャパンクラブの福祉部の中にボランティア班のようなものを作ってみたいと願い出ましたが認められませんでした。
● 自然に生まれていったネットワーク
それでも現地の福祉活動に行く時に声をかけると一緒に参加してくれる日本人がいたり、インドネシア語の勉強で絵本の翻訳をしているグループでは、現地の子どもたちにそれを読み聞かせたいと思う人もいたり、人形劇の好きな人たちが作品を施設でやってみたいと思っていたりと、徐々に人やグループが繋がっていきました。
参加者に「趣味も続けながら得意な分野で福祉活動にも加わる」という自然な流れができてきた頃、現地でのネットワークができてきました。こうして自然に様々なグループが繋がって、現地の人の為の福祉活動をする「J2net(ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク)」(以下「J2net」)が生まれました。
● 参加者にボランティア活動がもたらしたもの…
グループでの活動はその参加者にも楽しく充実した時間を作り出します。現地の子どもたちを何とかしてあげたいと思っていた活動が、日本人の母親のエンパワーメントにもなっていました。
日本人同士で同じ活動に参加しているうちに使用人の問題や悩みを抱えた人の話をみんなで聞いたりアイデアを出し合ったりするようになって、そこが一つの情報交換の場にもなっていきました。人形劇グループで現地の親子教室を巡回した時には、現地家庭の手料理をいただいたり、現地の習慣を教えてもらったり、インドネシアの分からない部分を尋ねたりして現地の人たちと触れ合うこともでき、そこから学び教えられる面も多々ありました。
● さらなる活動へ…
そうこうするうちに現地の障害者や養護学校の作品をフェアトレードの品物として日本で販売するルートや奨学金への道も開けてきました。
さらに沢谷さんのアドバイスなどもあり「子どもの権利条約」の翻訳本を作ろうと思いつき、インドネシア人で奨学金活動をしている現地グループにその話を持ちかけてみました。「インドネシアでは通用しない」とすぐに断られてしまいましたが、どうしても諦め切れません。そんな時、現地のスラムでユニセフと組んで活動しているNGOのグループと出会いました。そのグループは権利条約について子どもたちにロールプレイで教えたり、大人たちにセミナーで話してくれたりという活動をしていました。やがてこのNGOと協力して、スラムの子どもたちに権利条約の本の絵を描いてもらったりお話を作ってもらったりすることに発展し、ユニセフの印刷代支援を得てとうとう2万部の冊子ができました。
この活動では、資金もトートバッグを作って販売し作りましたし、皆でアイデアを出し合って考えれば可能になることも確認できました。私たちの活動は、政策や素晴らしいシステムを作るというものではありませんが、素人ながら「こうあって欲しい」という願いを持って、さまざまな形で活動を続けることが大切なのだと感じました。
● 自分なりにできることから…
私の場合は、夫の会社からの赴任家族が我が家だけでしたので規制もなくて活動が自由にできましたが、会社から細かい指示のある場合もあります。しかしどこまで自己責任で活動をするのかはご家庭の方針によって異なるかと思います。私たちの活動に参加された皆さんは自分なりにできることをしています。
J2net は7人で始めましたが、今は一人でいくつもの活動を兼ねている人もいて、バザーなどには30?40人が関わっていますし、積極的には関われなくても奨学金への協力や品物を出してもらったりして100人近い人々が関わるグループとなりました。
● 日本に帰ってからも…
立ち上げのメンバーは5人が既に帰国し、彼女たちの子どもたちも成長し空いた時間にそれぞれ仕事を始めたりしていますが、J2net をジャカルタだけの活動で終らせたくないと思う気持ちが続き、新たに日本でJ2net・ジャパンを立ち上げました。苦しんでいる子どもたちは世界中にたくさんいますが、私たちが現地のことを知っていて伝えられるのはインドネシアの子どもたちのことであり、その部分は忘れたくないという共通の思いがあったからです。
具体的には会費をもとに「ジャカルタ側に奨学金を送る」「絵本の翻訳を続ける」「フェアトレードの品を販売する」「日本の幼稚園へ行って現地の絵本を訳して紙芝居や人形劇を見せる」などの国際理解を進める活動をしています。
● ボランティア活動を通して伝えていきたいこと…
私たちは専門化していくのではなく、自分の生活の延長としてこうした活動を続けていきます。医療制度や学校制度に恵まれた日本で生まれたことを感謝しつつ、同じ時代に、自分を守る制度やシステムもなく苦しい暮らしをしている人が世界の中に大勢いることを伝えていきたいと思っています。そしてそれには国際協力の専門家ではない主婦が伝えることに意味があると思っています。
第二部 質疑応答
Q:ジャカルタの情報を得る方法は?
・ ジャカルタに行ってから
日本人会に行くと情報が集っています。日本語の新聞も出ています。
・ 赴任前は
インターネットで検索している人が多いようです。
JETROの出している「ジャカルタに暮らす」の中に情報が多く載っています。
Q: 「ジャカルタカウンセリング」の活動費は
・ 講演会は有料です。
・ 幼児健診も有料です(700円ほど)。私たちのしている健診はできれば日本人会か大使館がするべきだと思っていますので啓蒙のためにもお金をいただいています。
・ 個人的なカウンセリング
1回目(インテーク)は無料、継続して治療する場合は次回から有料です。
これらの資金は活動経費(資料作りやコピー代)にあてています。意識を高める為にも有料としています。
Q:幼児健診について
・ 場所は立ち上げメンバーのご主人の会社(商社)の会議室を無償で借りています。幼児健診後のプレイグループには近くのアパートの集会室やカラオケルームを使用しています。
・ 午前中で30人くらいの子どもの健診は終るので、その後一緒にお昼を(JC側が用意して)食べながら話しをしています。
Q:個別カウンセリングについて
・ 個別の相談は相談室を持っているわけではないので、クライアントと私と相談して二人の都合の良い場所を決めます。自宅に来てもらうか相手先に出向く場合が多いです。
・ 電話でインテークできない場合が多いので、まず一度お会いしてみてどうするかお尋ねしています。
Q:プライバシーの問題
1万人くらいの日本人社会は小さな村といった感じです。どこかで繋がっている場合が多いですが、私と話している人がみんなクライアントではないのだということを周りの人には話して理解してもらっています。
Q:子育てが終ってからの赴任は
夫は職場で人間関係を作り上げられますが、妻は子どもを通じて知り合う機会もなく現地で人間関係を結べないで鬱々として日本を行ったり来たりするケースもあります。この場合、興味のありそうな会を紹介することもありますが、新しい人間関係を作るのが億劫という場合が多いようです。これらの年齢の人がJ2NETに入ってくる場合も多くあります。「ジャカルタカウンセリング」(JC)も「J2net」もジャパンクラブのニュースに活動を載せてもらっているので、それらを見て参加してくる人もいるようです。JCに相談に行くよりはJ2net への参加は気分的に気軽なので、敷居が低く感じられるのだと思います。例えば郊外の施設に一緒に出向いたり、小さい子を抱っこする会に入ったり。得意の洋裁を教えている人もいます。
Q:放課後の子どもたちの交友関係は
一戸建ての家と都心の集合住宅の場合、インターナショナルスクールと日本人学校の場合など、住んでいる地域の環境や通う学校の種類によってかなり異なると思います。
インターナショナルスクール:
(沢谷)放課後の活動にも積極的に参加し、意図的に日本語を習ったり楽器を習わせたりして、あまり放課後の時間をどうするか考える必要のない状況にしていました。上の高校生の子どもたちはそれなりに自分たちの予定で動いていましたが、下の小学生の子どもは私が管理していました。基本的に車に一人で乗せなかったので午後の時間は母親がついて回るという日々でした。
日本人学校:
(小林)学齢期に連れていき3年程の予定だったので、迷わず日本人学校を選びました。学校へはスクールバスで通い、自宅も日本人が多く住む大規模マンションだったので子供たちはその中で遊び、親は手がかかりませんでした。メイドさんは使っていなかったので食事の準備や家事は全部母親の役割でした。
Q:階層の低い地域の子どもたちに出会うこともあると思うが、日本人の子どもの感じ方は
親の考えが子どもに反映すると思います。両親がスラムの子どもたちについて日頃どのように話しているかがそのまま子供たちにも表れます。ある意味日本は平等社会ですが、現地の中で活動すると明らかな社会の階層を見せつけられます。
家庭内の使用人への両親の態度もそのまま子どもに反映すると思います。見下して命令する家庭のお子さんは同じような態度を使用人にとりがちです。日本人全般の態度で気になる点は日本人がインドネシア人より上に立っているという感覚や言葉づかいをする人がいることです。全てのインドネシア人が貧しい暮らしをしている訳ではなく、富裕層から最下層まで色々な階層があることを子どもには伝えています。進学や就職にも階層が関係していて望めば上にいけるものでもない社会のしくみも話しています。
Q:階層社会を見てきた子どもたちが帰国後戸惑うことはありませんか?
(小林)階層社会のジャカルタで戸惑うよりも、帰国後子どもが「インド人」と言われたことがあったようです。海外の日本人学校は日本の私立校と似て同じような家庭環境の子どもたちが多く、友達も転入してきてはまた帰国するという世界だったのが理由かは分かりませんが、6年生で戻った子どもは公立中学校に進むことを嫌がりました。
(沢谷)質問とは関係ないのですが、帰国後の適応についてお話すると、インター校からの帰国は日本の学校に編入する場合学年が上がるにつれて問題が大きいと言われます。
現地では日本人学校に高校が併設されていないので、この段階でインターに毎年10数名入ってきますが、毎年1、2名適応できないお子さんがいます。この年齢で日本から直接インターに入ってくる時も英語が得意という自信のあるお子さんや小さい頃に海外にいたというお子さんの中に結構つまずく子どもがいます。小さい頃とは学習レベルが明らかに違うことを認識していないせいかもしれません。
Q:どれくらいの子どもがインターに通っているのか
(沢谷)一番大きいのは「ジャカルタ・インターナショナルスクール」で、幼稚園から高校まであり、ほとんどの日本人子弟がそこに通います。内訳は大部分が高校生で80名程、中学生は少なく10名程、小学生が20ー40名でしょう。日本人子弟の約1割弱がインターに通っています。
Q:不登校・引きこもりの相談もあるそうですが、その場合日本人学校とコンタクトを取っているのでしょうか
必要な場合は取ります。まずお母さんに学校側はご存知かということと学校と連携を取ってもいいかどうか尋ね、希望される場合は学校と連絡を取ります。連絡を取ったケースもありましたが、先生方はどうしたらいいのか分からず、積極的に私たちに話しかけてきてはくれません。結構開放的な学校なのですが先生一人ひとりは閉鎖的です。基本的に私たちに相談を持ちかけることはまずありません。
幼稚園の時から「多動」で私たちのところに来ていたお子さんが小学校に入学した時、(今までのことは分かっているので)私たちから小学校の方に何かあったら相談に乗りますと言っておきました。指導にてこずっているという噂は耳にしましたが、1学期終了後になってどんなお子さんか尋ねてきました。お子さんのことを説明しましたが、学校側では面倒みきれないという結論が出て、母子のみ日本に帰国されました。このケースはもっと早くから連携をとっていればこちらからお母さんボランティアを出すこともでき、両親のみに負担をかけることもなく家族揃ってジャカルタで楽しく暮らすこともできたのにと残念です。
Q:「ジャカルタカウンセリング」のような活動が他の地域で根付かない理由はどこにあると思われますか
「マザーズクラブ」のような形でのお母さん達のネットワーク活動は、タイ、ロンドン、NYなど数箇所でできていますが、メンタルヘルス・ケアのような形の活動はありません。手を挙げる人さえいれば協力してくれる人がいると思います。私は自分自身を活かすためにこの活動を始めました。有資格者の奥様も海外に多く出ていますが、自分の専門的知識や経験を出さずに過ごしています。海外の日本人にも問題を抱えた人がいることや、海外でも日本での資格や経験を活かすことができるという情報を民間も行政も宣伝しなければいけないと思います。「ジャカルタカウンセリング」(JC)や「J2net」のような前例を伝え発信していく必要があると思います。
第一回Group With メンタルヘルスセミナー 講演録 (作成 Group With)
無断のコピー・転載は固くお断りします。
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